FUTURE PART II
バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2
2015年、荒廃した1985年、そして1955年へ。3つの時代を行き来する構成は、いま観ても異様に緻密。
1985年の映画なのに、いま初めて観てもまったく古びない。むしろ「よくできた娯楽映画とは何か」を確かめたくなったとき、いちばん手っ取り早い教材がこれだと思っています。
ネタバレについて:この記事はネタバレなしで書いています。結末や物語の核心に触れる内容は載せていません。
1985年、カリフォルニア州ヒルバレー。高校生のマーティ・マクフライは、変わり者の科学者ドク・ブラウンの助手のようなことをしています。父はいじめっ子の同僚にへつらう気の弱い男、母は酒に逃げがち。冴えない家庭です。
ある夜、ドクが完成させたタイムマシン——デロリアンを改造した車——の実験に立ち会ったマーティは、トラブルに巻き込まれて1955年へ飛ばされてしまいます。そこで出会った気弱な少年は若き日の父。そして自分に妙に好意を寄せてくる女子高生は、若き日の母でした。
自分の存在によって両親の出会いを壊してしまったマーティは、写真の中の自分の姿が少しずつ消えていくのを見ます。1955年のドクを説得して帰る方法を探しながら、なんとしても両親をくっつけなければならない。タイムリミットは、町の時計台に雷が落ちる土曜の夜。
オープニングでドクの部屋の時計が映り、犬にエサをやる装置が映り、ラジオのニュースが流れる。この数十秒だけで「ドクという人物」「時間」「プルトニウム」という物語の柱が全部提示されています。説明台詞をほとんど使わずに世界を立ち上げる手際は、いま観ても異様に上手い。
冒頭で募金を求める老婦人が渡してくるチラシが、終盤でそのまま作戦の鍵になります。伏線という言葉が使われすぎて陳腐になった今でも、この映画の張り方と回収の仕方は基準になります。
デロリアンが走り出すあのファンファーレ。曲が流れた瞬間に「これから面白いことが起きる」と身体が反応してしまう。音楽が作品の記号にまでなった数少ない例です。
道? 行き先に道なんかいらないさ。
ドク・ブラウン(劇中の台詞より)
何度も観てあらためて思うのは、この映画に無駄なシーンが1つもないということです。序盤の何気ない会話が、ほぼすべて後半で意味を持つ。冒頭のスケートボード、父の書いたSF小説、母の思い出話、ラジオ、雷。全部が最後の10分に向かって配置されています。
しかもそれが、観ている最中は「仕掛け」として意識されない。ちゃんと笑えて、ちゃんとハラハラする娯楽映画として成立しているうえで、後から見返すと構造が異様に緻密。これを両立させているのが本当にすごいところです。
テーマも意外としっかりしています。マーティがやったのは両親をくっつけることだけではなく、父親に一度だけ自分の足で立たせることでした。だからラストで1985年に戻ったときの家族の変化に説得力がある。時間旅行の話でありながら、根っこは家族の話です。
気になる点を挙げるなら、母親が息子に惹かれるという設定は今の目で見るとかなり際どく、ここで一瞬引く人はいると思います。ただ、映画はこれをギャグとして使い切ったうえで、最終的にきちんと着地させています。
娯楽映画の脚本は、ここまで隙をなくせる。
| 項目 | 点数 |
|---|---|
| 脚本 | 5.0 |
| 映像美 | 4.2 |
| 音楽 | 4.6 |
| 演技 | 4.7 |
| 余韻 | 4.4 |
数字は2026年8月時点で確認できたものです。IMDbのスコアや公開中の作品の興行収入は、その後も変動します。
1985年の全米興行収入1位を記録した、その年最大のヒット作です。米アカデミー賞では音響効果編集賞を受賞し、脚本賞にもノミネートされました。
続編2作を含めたシリーズとして今も繰り返し放送され、デロリアン、ホバーボード、時計台といったアイコンは映画を観ていない世代にまで届いています。「よくできた脚本の例」として真っ先に名前が挙がる作品で、評価は公開当時から現在までほぼ一貫して高いままです。
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